じいちゃん、ばあちゃんの戦争体験

日本について

どうも、もりもりです!

この記事でやっと30記事目です。

20記事目まではどんどんネタが思い浮かんできたのですが、ここにきてネタ切れ感がでてきました。

なので今日は来月が終戦記念日ということもあるので(無理やりな理由)自分のじいちゃんとばあちゃんが話していた戦争の話をしたいと思います。

ちなみに自分は沖縄出身で、ばあちゃんは沖縄戦を直接経験しています。

じいちゃんの話

じいちゃんは長男で当時は中学生くらいだったそうです。

とても正義感と愛国心が強かったみたいで、沖縄が戦場になるといううわさが広まっていく中でお母さんに

「あんたは沖縄が戦場になったら真っ先に飛び込んでいくような性格だから疎開しなさい」

と言われて九州に疎開させられたそうです。

ただこの疎開でじいちゃんはかなり危ない目にあいます。

一緒に九州に向かっていた船団のうちの一隻が米軍の潜水艦によって撃沈されたのです。

その船がはんとあの有名な対馬丸だったそうです。

じいちゃんの乗っていた船には幸いなことに被害はありませんでしたが、対馬丸は学童疎開の子供たちも含めて1,000人以上の方が亡くなりました。

もしじいちゃんの乗った船が対馬丸だったら自分はこの世に存在していないんですね。

無差別に通商破壊を行う米軍に対して腹が立ちますが、日本の息の根を止めるためにはシーレーンを封鎖しないといけないのでこうなるのも仕方ないのでしょうか。

話は戻りましてじいちゃんは最初は九州にいてその後は大阪にうつったそうです。

そのときに空襲にあって爆弾が近くに落ちてきたという話もしていました。

そして1945年8月6日。

朝西の空を見ると大きなきのこ雲が見えたそうです。

そう、これは原爆のきのこ雲だったんですね。

なんと大阪からも見えたそうです。

じいちゃんも最初は「なんだあれは?」くらいにしか思っていなかったみたいのなのですが、日がたつにつれて広島の惨状を人づてに聞いたそうです。

それからは日本が戦争に負けて何年かしたあとに沖縄に帰ったそうです。

ばあちゃんの話

ばあちゃんも長女で当時は小学生だったそうです。

ばあちゃんの家は昔だとけっこう大きめだったらしく、日本軍の宿舎として貸していたそうです。

戦後の戦争教育で日本軍は鬼畜で血も涙もないことをしていて沖縄の人を差別していたと教わった人もいると思いますが、ばあちゃんのところにいた日本軍の兵隊さんたちはみんな優しくてばあちゃんのことを可愛がってくれたそうです。

ある日ばあちゃんが家の中で遊んでいると、大橋中佐(実際は少佐ですがばあちゃんは中佐と言っていました)という偉い人がばあちゃんに

「お嬢ちゃん、こっちにおいで」

と言って自分の膝の上に乗せて遊んでくれたそうです。

その時に大橋中佐がポロっと

「おれたちは沖縄の土になりきたんだよ」

と言っていたそうです。

その後、本格的に米軍の上陸が近くなったため、ばあちゃんのところにいた部隊は最前線に送られ、それ以来誰一人として会うことはなかったそうです。

ばあちゃんたちも沖縄本島北部の山にあった防空壕にこもって生活をしていたそうです。

でも2週間くらいで米軍に見つかり、捕虜になったそうです。

そのときに米軍兵士からチーズと水を渡されたそうですが、毒が入っていると思って食べなかったところ、兵士が自分でチーズを食べるのを見て毒が入っていないと分かったそうです。

昔は鬼畜米英として教育されていたので怖がるのは当然ですよね。

見つかってから捕虜収容所まで移動するときに道にはそれはもうたくさんの死体がそこらじゅうに転がっていたそうです。

また、その途中パッと海を見ると米軍の艦船があまりにもたくさんあって、本当に海が見えないくらいだったそうです。

その後は終戦まで捕虜収容所で過ごしたそうで、北部に避難していたおかげもあり激戦に巻き込まれることはなかったそうです。

あとこれは余談なのですが、先ほどお話しした大橋中佐。

なんと2年前に南部の防空壕で印鑑が見つかり、遺族のもとに返されたそうです。

沖縄戦遺品「大橋」印章は遺族の元へ 報道で知り「やっとみんな一緒になれる」 - 琉球新報デジタル
沖縄戦遺品「大橋」印章は遺族の元へ 報道で知り「やっとみんな一緒になれる」 - 琉球新報デジタル

お名前もばあちゃんが平和の礎で取っていた写真と同じなので間違いないと思います。

本当によかったです。

さいごに

つくづく戦争は絶対に起きてほしくないと思いますね。

ばあちゃんは今でも戦争の話を聞かせてくれますが、じいちゃんは亡くなるまであまり積極的に話そうとはしませんでした。

むしろ嫌がっていましたが、ある時家族で集まっている時にポロっと話してくれました。

でもあの話も氷山の一角でまだ話していないことはたくさんあったはずです。

もし自分が死んだら天国でじいちゃんと話したいことがたくさんあるのでその時に聞いてみます。

今の平和で豊かな日本があるのはあの戦争で戦い、焦土と化した日本を復興させたご先祖様たちのおかげだなとつくづく思います。

すべての国民は感謝すべきですが、教育や腐ったマスコミ、政治家の影響もありそんなことを考える人はあまり多くないでしょう。

せめて戦前の日本を悪者のように言うのだけはやめてほしいと思います。

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